2021年の大河ドラマ「青天を衝け」に大河ドラマ初出演の犬飼貴丈さん。
犬飼貴丈さん演じる福地源一郎の功績、渋沢栄一との関係をまとめてみました。
「犬飼貴丈演じた青天を衝けの福地源一郎は何した人?渋沢栄一との関係は?」と題して投稿していきたいと思います。
犬飼貴丈演じた青天を衝けの福地源一郎は何した人?
誕生~死没:1841年5月13日~1906年1月4日
長崎で儒医の福地苟庵の息子として生まれる。
幼少から漢学を学び15歳の時に通詞・名村八右衛門のもとで蘭学を学ぶ。
安政4年(1857年)に江戸に出て2年ほどイギリスの学問や英語を森山栄之助の下で学び、外国奉行支配通弁御用雇として、翻訳の仕事に従事することとなる。
また、慶応元年(1865年)には再び幕府の使節としてヨーロッパに赴き、フランス語を学び、西洋世界を視察した。
維新後は江戸で「江湖新聞」という新聞を創刊し、同誌に「政権が徳川から薩長に変っただけ」と述べたところ新政府の怒りを買い逮捕されるも木戸孝允によって無罪放免とされている。
ブー爺【幕末の歴史】第1回文久の遣欧使節団
文久元年(1862)12月正使は竹内保徳、副使は松平康直(後松平康英)、目付は京極高朗(能登守)。柴田剛中(組頭)、福地源一郎、福沢諭吉(通訳)、松木弘安(通訳・寺島宗則)、箕作秋坪(通訳)、川崎道民(雇医:遣米使節団参加)ら、総勢36名 pic.twitter.com/QrQGcBUHEg— ブーさん (@0Hub6tIBhu280hN) July 1, 2021
福地源一郎と渋沢栄一との関係は?
明治3年(1870年)、渋沢栄一の紹介で伊藤博文と意気投合して大蔵省に入り渡米して会計法などを学び帰国。翌年、岩倉使節団の一等書記官として欧米各国を訪問している。
明治11年(1878年)には渋沢栄一らとともに東京商法会議所を設立。
明治14年(1881年)、私擬憲法『国憲意見』を起草し、また軍人勅諭の制定にも関与した。
渋沢栄一とどのような関係になったかはご存じない方も多いのでは無いかと思います。
この関係を頭に入れながらドラマを見ることで、知らないよりもぐっと深く見ることが出来、楽しめるかと思います。
犬飼 貴丈(いぬかいあつひろ)プロフィール
- 本名:犬飼 貴丈(いぬかいあつひろ)
- 生年月日:1994年6月13日
- 出身地:徳島県
- 血液型:O型
- 2021年第25回ジュノン・スーパーボーイコンテストでグランプリ受賞
主な出演作品
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- 2014年:碧の海〜LONG SUMMER〜
- 2017年:仮面ライダービルド
青天を衝け:新キャスト発表 志尊淳、犬飼貴丈、小日向文世の息子らが大河初出演 https://t.co/hXCLrSlkuu
— MANTANWEB (まんたんウェブ) (@mantanweb) May 1, 2021
まとめ
最後までお読み頂きありがとうございました。
幕末から明治維新以降までの激動の時代を駆け抜け、日本経済の基盤を築いたと言っても過言では無い、渋沢栄一の生きざまを大河ドラマでじっくりと見ていきたいと思います。
吉沢亮と犬飼貴丈の白熱の共演も楽しみです!
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